2017年6月13日火曜日

最後の教育実習を終えました

皆さん、お久しぶりです。
久しぶりの更新すぎて、誰か読んでくれている人などいるのだろうか…という感じですが、自分の中での整理のためにここに残しておきます。

二週間の教育実習を終えました。
おそらく人生最後の実習でした。
もっとこうすればよかったという反省はあるものの、自分としては納得のいく毎日を過ごすことができました。

まずは、授業について。
今回の実習で一番印象的だったのは、観察をしていても、実際に自分が授業をしていても、私自身がとても楽しかったということです。以前の私であれば、子どもから予想外の発言が出た時、焦りで頭が真っ白になっていたはずです。しかし、今回は、予想外の発言も含め、子どもが発言する裏にどのような思考があったのか聴きたいという気持ちが非常に大きかったです。このように思えるようになったきっかけがあります。指導教員の先生が実習初日に私たち同学級の実習生にかけてくださった言葉です。

「授業は子どもを愛する行為そのものです。愛する行為に上手も下手もありません。」

この言葉に、私は感銘を受けました。
円滑に授業を進めよう、いかにわかりやすく内容を説明しようか、と気張っていた部分があった私から、フッと肩の力が抜けました。一人ひとりの子どものことを思い浮かべながら計画を練った授業案ができたら、後は、子どもの考えに沿って臨機応変に授業をすればいいんだ。予想していた反応でも深堀りしてみたら実は考え方が違ったり、予想外の反応からは教師だけでは気づくことができなかった新たな考えに出合い、クラス全体で考えることができたり。授業を通して、子どもたちと会話をすることで、私自身「なるほど…」と思う機会が沢山ありました。そのため、授業自体は指導案で計画していたまとめまで到達することは少なかったですが、子どもたちにとって、良い落ち着きどころで授業を終えることができました。

ある授業で、私はどうしてもこだわりたい部分があり、自分の思いを同学級の実習生に打ち明けました。それは、「フラッシュカードであらかじめ書いた文章を持って行ってもいいんだけど、やっぱり子どもから出た言葉を自分の手で板書したい」という思いでした。他の授業でも「他の授業内容の方が子どもたちにとって面白いんじゃないかと提案してくださる先生の意見を考えた上で、やっぱり自分の案で試したい」という私の思いを実習先の先生方始め実習生の仲間は理解をしてくれました。そんな思いで授業を終えた私に対して、ある実習生がかけてくれた言葉に私は心打たれました。

「先生、闘っていたね」

自分のエゴで進める授業ではなく、子どもたちを真に思って、彼らにとって何が最善かを自分なりに考え、チャレンジすることができたのかと振り返ります。だからこそ、反省する部分はあっても、終わった授業に対してポジティブな感情を持っていられるのかなと考えます。

この実習を通して、他の先生方の授業参観における見方も変化したように思います。子どもたちの興味が違う方向へ行ってしまいそうな時でも、踏ん張っている先生がいる。ともすれば、教師主導で進めていくことも可能なのに、敢えてそうせず、子どもたちの意見を一つひとつ丁寧に拾っていく。そんな場面に出くわしたとき、「指導案のまとめまでたどり着かなかった授業」ではなく「最後まで子どもに寄り添おうと闘った先生」と捉えられるようになったのは、実習を通した私の一つの成果かなと思います。
もちろん、子どもに考えて欲しい道筋があることも事実なので、子どもがより良い『問』を持てるように、教材研究にこれからも励んでいきたいと思います。

次に、生活面について。
子ども、といっても一人の人間であり、確固たる自我を持っています。年齢に関わらず、やらされるのは嫌いだし、筋の通った彼らなりの意見を持っている。「学校現場」だからこそ、「子どもだから…」という考えは通用しないということを実感したように思います。子どもの時に知らせなくていいこともあるのは理解できるが、何も隠さずに全てを伝えたほうが、いい時だってある。子どもの時はよく「怒られているうちが華だよ」と言われたものですが、社会に出る、子どもたちの前に立つ一歩手前になり、「反感を表してくれているうちが華だよ」と感じます。素直にぶつかってくれる子どもだからこそ、自分自身も等身大で子どもと向き合っていきたいです。

少し長くなったので、このあたりで。
最後に、大好きなメンバーに感謝を伝えて終わりにします。
指導教員、同学級の実習生、クラスの子どもたち、ありがとう!